自然の美しさを引き出す確かな造形感覚
殻溶けて流れ出た藁灰釉が実に見事な景色を作り出している大徳利。釉薬が胴部への膨らみに沿って流れるにまかせたとはいえ、火の神様が与えてくれた滅多とない美しさである。しかも、ガラス化する筈の表面が艶消しの状態で、少し大袈裟に言わせてもらえれば不可能を可能としてしまった作品といえるのではないだろうか。こうした作品に出会う出会うことはなかなか無い。すべてが自然のなせる技のように見えても、実はこの美しさを引き出す仕掛けが人の側にあることは知っておくべきである。人事を尽くした後のさまざまな条件が万にひとつ重なり合ってこの作品を生み出したのだ。そのことは「井戸茶碗」を見ていただければ承知していただけるだろう。ロクロ仕事の冴えというか、体に染み付いた技がすっきりとしかも余裕のある形を生み出している。特に口縁部の柔らかな感じは触れてみたくなるほどで、こちらも印象に残る作品である。
(評論家・狭間正治)
※芸術倶楽部 1999 5.6号抜粋